岩城宏之の『森のうた』に続いて本書も再読。さらっと書かれているが、1959年、24歳の時に貨物船で日本を出発し、わずか二年でニューヨークフィルの副指揮者としてバーンスタインとともに凱旋帰国。その間ブザンソンやカラヤンのコンクールで一位となり、カラヤン、ミュンシュ、バーンスタインに師事。今さらながら驚嘆すべき足跡だ。
日本を出る時にどれほどの計画があったかは分からないが、ブザンソンのコンクールについては、パリで桐朋同期の江戸京子に聞いたという(p45)。応募締切を過ぎてかけ込んだアメリカ大使館で「お前はいい指揮者か、悪い指揮者か」と問われ、大声で「自分はいい指揮者になるだろう」と答える小澤(p47)。縁もゆかりもない異国の大使館を頼り、また無名の若者に協力する大使館員。文庫の解説によれば、その大使館員マダム・ド・カッサは部下に「この青年はコンクールで優勝するでしょう」と言ったという。いい話だが、既に何かオーラみたいなものがあったのだろうか。
『森のうた』にも出てくる齋藤秀雄の指導についても触れている(p58)。『森のうた』で岩城は、小澤征爾、山本直純、秋山和慶、尾高忠明、井上道義などは「生まれつきの才能ゆえに『斎藤理論』の究極の産物であるし、だから逆に『斎藤理論』の産物ではないともいえる」と書いている(同書p210)。一方小澤は「斎藤先生の指揮のメトーデは、基礎的な訓練ということに関してはまったく完璧で、世界にその類をみない」と記す。
小澤の演奏を初めて聴いたのは、旧日本フィルが放送局の支援を打ち切られ、最後の演奏会となったマーラーの「復活」だった。東京文化会館立ち見席のチケットを買い、五階の階段に座って聴いた「復活」は、少し大げさに言えば、人生を変えるような体験だった。
今年で85歳になる小澤も近年は身体の不調が続いているようだ。今はどのみちコロナ渦で演奏会もないが、何とかもう一度、あの感動を味わえればと願う。
<リンクの追加>2020-07-13 06:20